人気ブログランキング | 話題のタグを見る

rainy day, rainy sky

ndgio.exblog.jp
ブログトップ
2007年 10月 03日

矛盾

矛盾_a0078787_23475381.jpg


美しい街並みに現れた配管








なんで生きるための食事にお金を払うのか?

そんなこと考えたことがあるだろうか。嗜好品は別として、生きるために必要最小限なものに対して何故みんなお金を払っているのだろうか?昔は自分たちで必要なものを育てたり、狩りに行ったりして得ていた。それが今では少し違う。ほとんどの人は仕事を持っており、その対価にお金を支払われ、それを食べ物に充てている。それっておかしくないだろうか?と彼は言った

私にも似たような考えがある。人類はいつしかその英知を駆使して便利で快適な世の中を作り始めてきた。人は快適な世の中のを作るために働く。そしてお金を得てそれで快適な生活を送る。でも世の中には過労死なんて言葉ができるくらい働きすぎている人がいるのだ。彼らは快適な生活を追い求めて自分で自分を疲れさせている。

実際はそんな単純なものではないんだと思う。そうやってみんなが苦労しながら、それでも世のため人のためを思って頑張ってきたから今の生活水準がある。昔とは違う文明、人類の発展はその努力なくして語れないのだ。でもやっぱり変だ

実際問題として社会には働いていない人もいるわけで、そういう人たちは快適な生活を代償として働かないという選択肢を選んだ。しかしながらそれはそれで成り立っているのである。もっといえば働きたくても仕事のない場合だってある、そういう場合は快適な生活を求めているのにそれを求める権利さえもらえない。もうわけがわからない

人は食事のために働き、次の食事のために摂取したものを消費し働く。なんだかアダム・スミスだか誰かが言っていたことのようだ。市場において永遠に残り続けるのは利益がゼロの会社。つまりはそういうこと、快適な生活の分だけきつい仕事が存在し、仕事がないだけ快適な生活がない。ご飯を食べるから仕事ができ、仕事するからご飯を食べることができる。


これがいいかどうかは私にはわからないところなのである。

by ndgio | 2007-10-03 00:13 | パリ


<< Path      誰そために >>